システム障害やサービス停止といったインシデントが発生した際、場当たり的な対応に追われ、根本的な再発防止策を立てられずにいませんか。インシデント管理で最も重要なのは、迅速な復旧はもちろんのこと、その経験を未来のビジネス成長に繋げる「仕組み化」です。本記事では、インシデント管理の目的やITILに準拠した標準プロセスといった基礎知識から、誰でも実践できる効果的なレポートの書き方、根本原因を特定する分析手法までを網羅的に解説します。国内企業の成功事例やJira、Backlogといったツールの活用法も交え、単なる事後対応で終わらせない、戦略的なインシデント管理体制を構築するための具体的なノウハウを提供します。
インシデント管理とは 目的と重要性を理解する
ITシステムの安定稼働がビジネスの根幹を支える現代において、「インシデント管理」は単なるトラブル対応ではありません。これは、ビジネスの継続性を確保し、顧客からの信頼を維持するための極めて重要な戦略的プロセスです。本章では、インシデント管理の基本的な定義から、類似する概念との違い、そしてビジネス成長におけるその重要性までを深く掘り下げて解説します。
インシデント管理の基本的な定義
インシデント管理とは、ITサービスの予期せぬ中断や品質低下(インシデント)が発生した際に、サービスを可能な限り迅速に正常な状態へ復旧させ、ビジネスへの影響を最小限に抑えるための一連のプロセスを指します。ここで言う「インシデント」とは、「Webサイトが表示されない」「社内システムにログインできない」「アプリケーションの動作が極端に遅い」といった、標準的なサービス運用を妨げるあらゆる事象が含まれます。
このプロセスの目的は、根本原因を追求することよりも、まずは「サービスの復旧」を最優先に置く点に特徴があります。ITサービスマネジメントのベストプラクティスを集めたITIL(Information Technology Infrastructure Library)においても、インシデント管理は中心的なプロセスとして位置づけられています。
問題管理や障害管理との明確な違い
インシデント管理は、「問題管理」や「障害管理」といった用語と混同されがちですが、それぞれの目的と役割は明確に異なります。これらの違いを理解することは、効果的な管理体制を構築する上で不可欠です。
| 管理プロセス | 主な目的 | アプローチ | 具体例 |
|---|---|---|---|
| インシデント管理 | サービスの迅速な復旧とビジネス影響の最小化 | 応急処置的な対応(ワークアラウンドの提供など) | サーバーを再起動して、Webサイトを一時的に閲覧可能な状態に戻す。 |
| 問題管理 | インシデントの根本原因の特定と恒久的な解決策の策定による再発防止 | 原因の調査・分析と恒久的な対策の実施 | サーバーが頻繁に停止する原因(メモリ不足など)を特定し、メモリを増設する。 |
| 障害管理 | ITインフラを構成する機器(CI)の故障への対処 | 故障したハードウェアやコンポーネントの修理・交換 | 故障したサーバーのハードディスクを交換する。 |
このように、インシデント管理が「現象」に焦点を当てて迅速な復旧を目指すのに対し、問題管理は「原因」に焦点を当てて再発防止を目指します。両者は密接に連携し、一体となってサービスの安定性を高めていく関係にあります。
なぜインシデント管理がビジネスの成長に不可欠なのか
効果的なインシデント管理体制を構築することは、単にIT部門の業務効率化に留まらず、ビジネス全体の成長に直結する多くのメリットをもたらします。
第一に、機会損失の防止と売上の確保です。ECサイトやオンラインサービスが停止すれば、その間の売上はゼロになります。インシデント管理によってサービスの停止時間を最短にすることで、直接的な売上損失を最小限に食い止めることができます。
第二に、顧客満足度とブランドイメージの向上です。トラブルが発生した際に、迅速かつ的確な対応ができれば、顧客の不満を抑え、むしろ「信頼できる企業」という印象を与えることさえ可能です。逆に、対応が遅れたり混乱したりすれば、顧客離れやブランドイメージの低下は避けられません。
そして第三に、社内業務の生産性維持です。社内システムで発生したインシデントは、従業員の業務を停滞させ、生産性を著しく低下させます。迅速な復旧は、従業員が本来の業務に集中できる環境を維持し、組織全体のパフォーマンスを守ることに繋がります。
このように、インシデント管理は守りのIT施策であると同時に、ビジネスの成長を支える攻めの基盤でもあるのです。
再発防止の第一歩 インシデント管理の標準プロセスとフロー
インシデント管理を場当たり的な対応で終わらせていては、根本的な再発防止には繋がりません。重要なのは、インシデントの発生から終息までの一連の流れを体系化し、標準的なプロセスとして組織に定着させることです。ここでは、ITサービスマネジメントのベストプラクティス集である「ITIL(Information Technology Infrastructure Library)」に準拠した、インシデント管理の具体的なプロセスと、そのフローを円滑に運用するための体制構築について解説します。
ITILに準拠したインシデント管理の5ステップ
ITILでは、インシデント管理のライフサイクルを5つの主要なステップに分けて定義しています。このプロセスを順番に実行することで、インシデントへの対応を迅速かつ効率的に進め、サービスへの影響を最小限に抑えることができます。各ステップの目的と具体的な活動内容を理解しましょう。
ステップ1 検知と記録
インシデント管理の出発点は、インシデントの発生を「検知」することから始まります。検知のきっかけは、ユーザーからの電話やメールでの問い合わせ、監視ツールからの自動アラート、社内担当者からの報告など多岐にわたります。重要なのは、どのような経路で発生したインシデントも見逃さず、すべてを管理システムに「記録」することです。この記録は「チケット」や「ケース」と呼ばれ、後の対応状況の追跡や分析の基礎となる極めて重要な情報源となります。
記録すべき主な情報には以下のようなものがあります。
- インシデントの発生日時
- 報告者の氏名・所属・連絡先
- インシデントの内容(どのような事象が起きているか)
- 発生しているシステムやサービスの名称
- エラーメッセージ(表示されている場合)
ステップ2 分類と初期サポート
記録されたインシデントは、次に「分類」と「優先度付け」が行われます。分類とは、インシデントの内容に応じて「ハードウェア障害」「ソフトウェアのバグ」「操作に関する問い合わせ」といったカテゴリに分ける作業です。これにより、適切な担当部署へスムーズに割り振ることが可能になります。
優先度は、ビジネスへの影響度(Impact)と緊急度(Urgency)の2つの軸で決定するのが一般的です。例えば、全社システムが停止している場合は影響度・緊急度ともに高く、最優先で対応すべきインシデントとなります。この優先度付けにより、限られたリソースを最も重要なインシデントに集中させることができます。
同時に、サービスデスクの担当者はナレッジベースや過去のインシデント履歴を参照し、既知の問題であれば解決手順をユーザーに案内するなどの「初期サポート」を行います。この段階で解決できれば、迅速なサービス復旧が実現します。
ステップ3 調査と診断
初期サポートで解決できないインシデントは、より専門的な知識を持つ二次・三次サポートチームへエスカレーション(引き継ぎ)され、本格的な「調査」と「診断」が開始されます。このステップの目的は、インシデントの根本原因を特定することです。
具体的な活動としては、システムログの解析、再現テストの実施、関連部署へのヒアリングなどが行われます。調査の過程や判明した事実は、関係者全員がリアルタイムで確認できるよう、チケットに随時追記していくことが、スムーズな情報共有と迅速な問題解決の鍵となります。
ステップ4 解決と復旧
調査・診断によって原因が特定されると、次は「解決」と「復旧」のステップに移ります。解決策には、根本原因を取り除く恒久的な対策と、とりあえずサービスを正常な状態に戻すための暫定的な回避策(ワークアラウンド)の2種類があります。
例えば、プログラムのバグが原因であれば、修正パッチを適用するのが恒久対策です。しかし、パッチの準備に時間がかかる場合は、一時的に旧バージョンのプログラムに戻したり、問題の機能を無効化したりするワークアラウンドでサービスをまず「復旧」させることを優先します。インシデント管理の主目的はあくまで「迅速なサービス復旧」であることを忘れてはなりません。解決策を適用した後は、問題が解消されたことを十分にテストし、確認します。
ステップ5 クローズと評価
インシデントが解決し、サービスが正常に復旧したことをユーザーに報告し、同意を得た上でチケットを「クローズ(完了)」します。ここで重要なのは、クローズする前に、対応履歴や原因、解決策などの情報がチケットに正確かつ網羅的に記録されているかを確認することです。この情報が蓄積されることで、将来同様のインシデントが発生した際に迅速に対応できる貴重なナレッジベースとなります。
また、対応プロセス全体を振り返り、「対応時間は適切だったか」「エスカレーションはスムーズだったか」といった「評価」を行うことも、インシデント管理プロセスの継続的な改善に繋がります。
フローを円滑にするための体制構築
優れたプロセスフローを定義しても、それを実行する体制が整っていなければ意味がありません。インシデント管理を円滑に進めるためには、各担当者の役割と責任を明確に定義することが不可欠です。一般的には、以下のような役割で体制を構築します。
| 役割 | 主な責任範囲 |
|---|---|
| サービスデスク(一次サポート) | ユーザーからの問い合わせ窓口(SPOC: Single Point of Contact)として機能し、すべてのインシデントの受付と記録を行う。既知の問題については初期サポートで解決を図り、解決できない場合は二次サポートへエスカレーションする。 |
| 二次・三次サポートチーム | サービスデスクからエスカレーションされたインシデントに対し、専門的な知識や技術を用いて調査・診断を行い、根本原因を特定して解決策を実施する。インフラ、ネットワーク、アプリケーションなど専門分野ごとにチームが分かれていることが多い。 |
| インシデントマネージャー | インシデント管理プロセス全体の責任者。プロセスの維持・改善を行う。特に、ビジネスに甚大な影響を及ぼす「重大インシデント」発生時には、関係部署を招集して指揮を執り、迅速な復旧を目指す司令塔の役割を担う。 |
これらの役割分担を明確にし、情報共有のルールやエスカレーションの基準を定めておくことで、インシデント発生時に誰が何をすべきかが明確になり、組織として一貫性のある迅速な対応が可能になります。
事例から学ぶ効果的なインシデントレポートの書き方
インシデント発生後の対応において、インシデントレポートの質は再発防止の成否を大きく左右します。単なる「報告書」ではなく、組織全体の学びと改善に繋がる「資産」として捉えることが重要です。この章では、誰が読んでも状況を正確に理解でき、具体的なアクションに繋がる効果的なインシデントレポートの書き方を、必須項目、時系列の記述法、そして実用的なテンプレートを通して具体的に解説します。
レポート作成で押さえるべき必須項目とは
質の高いインシデントレポートは、必要な情報が漏れなく記載されていることが大前提です。関係者が状況を迅速かつ正確に把握し、適切な判断を下すためには、以下の項目を網羅することが不可欠です。各項目が持つ目的を理解し、簡潔かつ的確に記述しましょう。
| 項目名 | 内容 | 記載する目的・ポイント |
|---|---|---|
| 件名(タイトル) | インシデントの内容が一目でわかる具体的な名称を記載します。 | 【例】「〇〇システム データベース接続障害によるサービス停止」のように、発生事象と影響を簡潔にまとめることで、受信者が優先度を即座に判断できます。 |
| 発生日時・検知日時 | インシデントが実際に発生した日時と、それを検知した日時を正確に記録します。 | 原因調査や影響範囲の特定における重要な情報源となります。時刻は分単位まで正確に記載しましょう。 |
| 重要度・緊急度 | ビジネスインパクトに基づき、インシデントの深刻度(High, Middle, Lowなど)を評価します。 | 対応の優先順位を決定するための指標です。あらかじめ定義された基準に基づいて客観的に判断することが求められます。 |
| 影響範囲 | インシデントによって影響を受けたシステム、部署、顧客、業務などを具体的に記述します。 | 過小評価も過大評価もせず、事実に基づいて正確に記載することが、関係者への適切な情報共有に繋がります。 |
| インシデントの概要 | 何が起きたのか、事象を客観的な事実のみで説明します。 | 5W1H(いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように)を意識し、推測や憶測を排除して記述します。 |
| 対応状況(時系列) | 検知からクローズまでの対応履歴を時系列で記録します。 | 誰がいつ何を行ったのかを明確にすることで、対応プロセスの透明性を確保し、後の分析や監査に役立ちます。 |
| 根本原因 | インシデントを引き起こした真の原因を特定し、記述します。 | 表面的な事象だけでなく、「なぜなぜ分析」などを用いて深掘りした結果を記載することが、効果的な再発防止策の立案に不可欠です。 |
| 暫定対応と恒久対応 | 応急処置として実施した「暫定対応」と、根本原因を解決するための「恒久対応(再発防止策)」を明確に区別して記載します。 | 恒久対応については、具体的なアクションプラン、担当者、期限を明記することで、実行性を高めます。 |
誰が読んでも理解できる時系列の記述方法
インシデントレポートの中でも特に重要なのが、発生から収束までの経緯を記した「時系列」の部分です。この記述が曖昧だと、状況の誤解を招き、原因分析や責任の所在が不明確になるリスクがあります。技術的な知識がない経営層や他部署の担当者など、誰が読んでも事実を正確に理解できるように、以下のポイントを意識して記述しましょう。
- 5W1Hを徹底する: 「いつ(When)」「どこで(Where)」「誰が(Who)」「何を(What)」「なぜ(Why)」「どのように(How)」を明確に記述し、情報の抜け漏れを防ぎます。
- 事実と推測を分離する: ログから確認できた事実と、状況から考えられる推測は明確に分けて記載します。「〜と思われる」「〜の可能性が高い」といった表現を使い、読者に誤解を与えないように配慮します。
- 客観的な表現を用いる: 個人の感想や感情的な表現は避け、あくまで客観的な事実を淡々と記述します。「〇〇氏のミス」ではなく、「〇〇氏が△△の操作を実施」のように、行動をそのまま記録します。
- 専門用語を避けるか注釈を入れる: 特定の部署でしか通用しない専門用語や略語の使用は極力避け、平易な言葉で説明します。どうしても使用する必要がある場合は、注釈を加えて誰にでも理解できるようにします。
例えば、「サーバーが落ちた」という表現ではなく、「15:32、〇〇システムのWebサーバー(サーバー名: xxx)のCPU使用率が100%に達し、監視システムからアラートが発報。同サーバーへのHTTPリクエストが全てタイムアウトする事象を確認」のように、具体的かつ定量的な情報を盛り込むことが、精度の高いレポートに繋がります。
すぐに使えるインシデント管理レポートのテンプレート紹介
毎回ゼロからレポートを作成するのは非効率であり、品質のばらつきを生む原因にもなります。あらかじめ標準化されたテンプレートを用意しておくことで、迅速かつ質の高いレポート作成が可能になります。以下に、基本的な項目を網羅したテンプレートを紹介します。自社の運用に合わせてカスタマイズしてご活用ください。
件名
【障害報告】(システム名)における(インシデント内容)の発生について(第X報)
1. 基本情報
- 発生日時: 202X年XX月XX日 HH:MM
- 復旧日時: 202X年XX月XX日 HH:MM
- 報告者: (所属部署名) (氏名)
- 重要度: 高 / 中 / 低
2. インシデント概要
(何が起きたのか、ビジネスへの影響を含めて簡潔に記載)
3. 影響範囲
- システム: (影響を受けたシステムや機能)
- ユーザー: (影響を受けた顧客層や社内ユーザー)
- 業務: (影響を受けた具体的な業務内容)
4. 対応経緯(タイムライン)
- HH:MM: (監視システムがCPU使用率の異常を検知)
- HH:MM: (担当者が一次調査を開始)
- HH:MM: (暫定対応として、該当プロセスの再起動を実施)
- HH:MM: (サービスが正常に稼働していることを確認し、復旧と判断)
5. 発生原因
(調査によって特定された根本原因を具体的に記載。直接原因と根本原因を分けて書くとより分かりやすい)
6. 対策
6.1 暫定対応
(今回実施した応急処置の内容を記載)
6.2 恒久対応(再発防止策)
(根本原因を解消するための具体的な対策を箇条書きで記載。担当部署と期限も明記する)
- 対策1: (具体的な対策内容)
- 担当: 〇〇部
- 期限: 202X年XX月XX日
- 対策2: (具体的な対策内容)
- 担当: △△部
- 期限: 202X年XX月XX日
根本原因を特定するインシデント分析手法
インシデントが発生した際、迅速な復旧対応はもちろん重要ですが、それだけでは不十分です。同じようなインシデントが再び発生するのを防ぐためには、表面的な事象の対処だけでなく、その背景にある「根本原因」を特定し、恒久的な対策を講じることが不可欠です。この根本原因分析(RCA: Root Cause Analysis)を徹底することが、組織全体のサービス品質向上と安定運用に繋がります。ここでは、代表的な分析手法を2つと、分析結果を具体的なアクションに繋げるためのコツを解説します。
なぜなぜ分析(5Whys)による深掘りテクニック
「なぜなぜ分析」は、発生した問題に対して「なぜ?」という問いを5回繰り返すことで、事象の背後にある本質的な原因を探り当てるためのシンプルなフレームワークです。トヨタ生産方式から生まれた手法として知られており、特別な知識がなくても実践できるため、多くの現場で活用されています。
この手法の目的は、担当者個人の責任を追及することではなく、問題が発生するに至ったプロセスや仕組みそのものに潜む課題を明らかにすることです。憶測や推測ではなく、事実に基づいて「なぜ」を繰り返していくことが重要です。
具体的な進め方を、Webサイトの表示遅延というインシデントを例に見てみましょう。
| 問い | 原因 |
|---|---|
| なぜ1:Webサイトの表示が遅くなったのか? | データベースサーバーからの応答が遅延しているため。 |
| なぜ2:なぜデータベースサーバーの応答が遅延しているのか? | 特定のクエリがサーバーに高い負荷をかけているため。 |
| なぜ3:なぜ特定のクエリが高い負荷をかけているのか? | クエリの実行計画が最適化されておらず、大量のデータをスキャンしているため。 |
| なぜ4:なぜクエリが最適化されていないのか? | インデックスが適切に設定されていないテーブルにアクセスしているため。 |
| なぜ5:なぜインデックスが適切に設定されていなかったのか? | 新規機能のリリース時に、データベースの負荷テストとレビューのプロセスが省略されていたため。(根本原因) |
このように「なぜ」を掘り下げることで、「サーバーのスペック不足」といった表面的な原因ではなく、「リリースプロセスの不備」という組織的な課題、つまり根本原因にたどり着くことができます。5回というのはあくまで目安であり、真の原因に到達したと判断できるまで問いを続けることが肝心です。
特性要因図(フィッシュボーンチャート)の活用法
特性要因図は、ある問題(特性)に対して、影響を及ぼしていると考えられる要因を網羅的に洗い出し、体系的に整理するためのフレームワークです。完成した図が魚の骨のように見えることから「フィッシュボーンチャート」とも呼ばれます。
この手法は、一人では思いつかないような多様な視点から原因を洗い出せるため、チームでのブレインストーミングに非常に有効です。考えられる要因を視覚的に整理することで、問題の全体像を把握しやすくなり、議論の抜け漏れを防ぐ効果も期待できます。
特性要因図は、一般的に以下の手順で作成します。
- 問題の決定:図の右端に置く「魚の頭」として、解決したいインシデント(例:「ECサイトでの決済エラー多発」)を記述します。
- 大骨(大きな要因カテゴリ)の設定:問題に影響を与える要因を大きなカテゴリに分類します。IT分野では、人(Man)、設備(Machine)、方法(Method)、環境(Environment)の「4M」がよく用いられます。
- 小骨・孫骨(具体的な要因)の洗い出し:各大骨に対して、具体的な要因を「小骨」として書き出していきます。さらにその要因を深掘りし、「孫骨」を書き加えることもあります。この段階では、可能性の大小にかかわらず、思いつく限りの要因を挙げることが重要です。
例えば、「人」のカテゴリには「操作ミス」「確認不足」、「方法」には「マニュアルが古い」「チェック体制の不備」、「設備」には「サーバーのスペック不足」「ネットワーク機器の不具合」といった要因が考えられます。チームで要因を出し合うことで、複雑に絡み合った原因の構造を明らかにすることができます。
分析結果を具体的な再発防止策に繋げるコツ
なぜなぜ分析や特性要因図で根本原因を特定できても、それを具体的なアクションに繋げなければ意味がありません。分析を「やって終わり」にしないためには、次のステップを意識することが極めて重要です。
- 対策案の洗い出しと評価
特定した根本原因に対して、考えられる再発防止策を複数洗い出します。その上で、「効果」「コスト(費用・工数)」「実現性」の3つの観点から各対策案を評価し、優先順位を決定します。対策案の評価テーブル例 対策案 期待される効果 コスト 実現性 総合評価 リリース前のDBレビューを必須化 高 中 高 ◎(優先対応) 全エンジニア向けDB研修の実施 中 高 中 ○(中長期で検討) 高性能なDBサーバーへのリプレース 高 高 低 △(代替案として保持) - アクションプランの具体化
優先度の高い対策案について、「誰が(Who)」「いつまでに(When)」「何を(What)」「どのように(How)」実行するのかを具体的に定めたアクションプランを作成します。担当者と期限を明確にすることで、対策が形骸化するのを防ぎます。 - 効果測定と継続的な改善
対策を実施した後は、その効果を必ず測定します。インシデントの発生件数や復旧時間などの指標(KPI)を定点観測し、対策が意図した通りに機能しているかを確認します。効果が不十分な場合は、追加の対策を検討するなど、PDCAサイクルを回し続けることが、組織のインシデント対応能力を継続的に向上させる鍵となります。
国内企業のインシデント管理成功事例
理論やプロセスを理解した上で、他社がどのようにインシデント管理を成功させているのかを知ることは、自社の取り組みを加速させる大きなヒントになります。ここでは、国内のIT企業やWebサービス事業者が直面した具体的な課題と、それを乗り越えた成功事例を2つご紹介します。自社の状況と照らし合わせながら、実践的な改善策を見つけていきましょう。
A社事例 迅速な情報共有で顧客満足度を向上させた方法
ECサイトを運営するA社では、サービス拡大に伴いインシデントの件数が増加。しかし、顧客サポート部門、開発部門、インフラ部門間の情報連携がメールやチャットで個別に行われており、対応の遅れや報告の抜け漏れが頻発していました。その結果、お客様への状況説明が二転三転し、顧客満足度の低下という深刻な問題に直面していました。
そこでA社は、インシデント情報を一元管理し、関係者全員がリアルタイムで状況を把握できる体制の構築に着手。インシデント管理ツールを導入し、発生からクローズまでの全プロセスを可視化しました。これにより、誰が何に対応しているかが明確になり、部門間のスムーズな連携が実現しました。
| 項目 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 抱えていた課題 | ・部門間の情報連携が分断され、対応状況が不透明(サイロ化) ・顧客への説明が遅れ、内容に一貫性がなくクレームが増加 ・対応の属人化が進み、担当者不在時に対応が停滞 |
| 実施した解決策 | ・インシデント管理ツールを導入し、情報共有基盤を統一 ・インシデントのステータス(検知、調査中、解決済みなど)をリアルタイムで可視化 ・各部門の役割と責任(RACI)を明確にしたフローを再定義 |
| 得られた成果 | ・インシデント解決までの平均時間が30%短縮 ・正確な情報を迅速に顧客へ伝えられるようになり、顧客満足度調査のスコアが15%向上 ・対応履歴がナレッジとして蓄積され、新人でも過去事例を参考に迅速な初期対応が可能に |
A社の事例は、インシデント管理が単なる技術的な問題解決だけでなく、ビジネスの根幹である顧客満足度に直結することを示しています。特に、部門横断でのスムーズな情報共有体制の構築が成功の鍵となりました。
B社事例 ツール活用と分析で類似インシデントを80%削減
SaaSサービスを提供するB社では、同じ原因によるインシデントが繰り返し発生していました。エンジニアは日々の障害対応に追われ、根本的な原因究明や再発防止策の策定に時間を割けない「モグラ叩き」の状態に陥っていました。このままではサービスの品質低下やエンジニアの疲弊が避けられないと判断し、インシデント管理プロセスの抜本的な見直しを決断しました。
B社はまず、すべてのインシデントをツール上に記録することを徹底。そして、単に対応して終わりにするのではなく、蓄積されたデータを基に定期的な分析会を実施する文化を醸成しました。特に「なぜなぜ分析」を用いて表面的な事象の奥にある根本原因を深掘りし、恒久的な対策を講じるサイクルを確立しました。
| 項目 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 抱えていた課題 | ・同様のインシデントが何度も再発し、場当たり的な対応に終始 ・根本原因の特定が行われず、技術的負債が蓄積 ・エンジニアが障害対応に疲弊し、新機能開発などの本来業務に集中できない |
| 実施した解決策 | ・インシデント管理ツールにすべての事象を記録し、データを蓄積 ・週次でインシデントの傾向を分析する「振り返り会」を設置 ・「なぜなぜ分析」や「特性要因図」を用いて根本原因を特定し、具体的な再発防止策を立案・実行 |
| 得られた成果 | ・1年間で類似インシデントの発生件数を80%削減 ・データに基づいた議論により、効果的な改善策を打てるように ・エンジニアの緊急対応工数が大幅に減少し、サービスの品質向上に繋がる開発に注力できるようになった |
B社の成功は、インシデント管理が「再発防止」に繋がってこそ真価を発揮することを示しています。インシデントを単なる「点」で捉えるのではなく、データとして蓄積・分析し、「線」や「面」で改善していくという意識改革が、サービス全体の安定稼働と事業成長の土台となりました。
インシデント管理を効率化するおすすめツール3選
インシデント管理のプロセスを定義し、体制を構築しても、日々の運用を手作業で行うには限界があります。対応漏れや情報共有の遅れを防ぎ、根本原因の分析を効率的に行うためには、インシデント管理ツールの活用が不可欠です。ここでは、国内外で広く利用されている代表的なツールを3つ厳選し、それぞれの特徴や料金、どのような企業におすすめかを紹介します。
Jira Service Management
Jira Service Managementは、アトラシアン社が提供するITサービスマネジメント(ITSM)ツールです。開発プロジェクト管理ツールとして有名なJira Softwareと同じプラットフォーム上で動作し、ITILに準拠した本格的なインシデント管理を実現できます。IT部門と開発部門の連携をスムーズにし、迅速な問題解決をサポートします。
主な特徴とメリット
最大の特徴は、インシデント管理、問題管理、変更管理、サービス要求管理といったITSMの中核プロセスを包括的にサポートしている点です。インシデントの受付からクローズまでを一元管理し、SLA(サービスレベルアグリーメント)の設定と監視も可能です。また、ナレッジ管理ツールConfluenceと連携することで、FAQや対応手順書をナレッジベースとして蓄積し、インシデントの自己解決を促進したり、担当者の対応品質を均一化したりできます。ITILのフレームワークに沿って、体系的かつ高度なインシデント管理体制を構築したい企業に最適です。
こんな企業におすすめ
- ITILに準拠した本格的なインシデント管理プロセスを導入したい企業
- 既にJira Softwareを開発部門で利用しており、IT部門との連携を強化したい企業
- SLAを厳密に管理し、サービス品質の向上を目指す企業
料金プランの概要
| プラン | 月額料金(1ユーザーあたり) | 主な特徴 |
|---|---|---|
| Free | 無料 | 最大3エージェントまで。基本的なインシデント管理機能。 |
| Standard | 要問い合わせ | 最大5,000エージェントまで。SLA管理、レポート機能など。 |
| Premium | 要問い合わせ | インシデントの根本原因分析、資産管理、24時間365日のサポートなど。 |
Redmine
Redmineは、オープンソースのプロジェクト管理・課題管理ソフトウェアです。ライセンス費用がかからず無料で利用できるため、世界中の多くの企業で導入されています。本来はプロジェクト管理を目的としていますが、その柔軟性とカスタマイズ性の高さから、インシデント管理ツールとしても広く活用されています。
主な特徴とメリット
インシデントを「チケット」として登録し、担当者や優先度、ステータスを管理するのが基本的な使い方です。オープンソースであるため、自社の運用フローに合わせて自由にカスタマイズできる点が最大の魅力です。豊富なプラグインを追加することで、ガントチャートや工数管理、より詳細なレポート機能などを拡張できます。また、自社サーバーに構築するオンプレミス型での運用が可能なため、セキュリティ要件が厳しい企業でも安心して利用できます。
こんな企業におすすめ
- ツール導入のコストを可能な限り抑えたい企業
- 自社でカスタマイズや運用ができる技術力を持つ企業
- セキュリティポリシー上、オンプレミス環境での運用が必須の企業
料金プランの概要
| 提供形態 | 料金 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| オープンソース版 | 無料 | 自社でサーバー構築・運用・保守を行う必要あり。 |
| クラウド版 | 有料(提供ベンダーによる) | ベンダーが提供する環境を利用。サーバー管理が不要。 |
Backlog
Backlogは、福岡に本社を置く株式会社ヌーラボが開発・提供する、日本製のプロジェクト管理・タスク管理ツールです。シンプルで直感的に操作できるインターフェースが特徴で、IT部門の専門家だけでなく、営業やマーケティングなど、非エンジニア職のメンバーでも使いやすいように設計されています。
主な特徴とメリット
インシデントを「課題」として登録し、担当者や期限を設定して進捗を可視化できます。コメント欄でのやり取りが容易で、関係者間での情報共有をスムーズに行えるのが強みです。また、ソースコード管理ツールのGitやSubversionと連携できるため、ソフトウェア開発におけるバグ報告から修正、リリースまでを一気通貫で管理できます。IT部門以外のメンバーも巻き込んだ、全社的な情報共有とタスク管理に適しています。
こんな企業におすすめ
- エンジニアだけでなく、ビジネス部門のメンバーも利用するツールを探している企業
- シンプルで分かりやすいUIを重視し、ITツールに不慣れな従業員が多い企業
- ソフトウェア開発と連携したインシデント管理を行いたい企業
料金プランの概要
| プラン | 月額料金 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| スターター | 要問い合わせ | 30ユーザーまで。基本的なプロジェクト管理機能。 |
| スタンダード | 要問い合わせ | ユーザー数無制限。ガントチャート、Git連携など。 |
| プレミアム | 要問い合わせ | SAML認証、IPアドレス制限など高度なセキュリティ機能。 |
まとめ
本記事では、インシデントの再発防止を目的としたインシデント管理の重要性、具体的なプロセス、そして効果的な分析手法について、成功事例を交えながら解説しました。インシデント管理とは、単に発生した問題を迅速に解決するだけでなく、その根本原因を突き止め、未来のビジネスリスクを低減させるための極めて重要な活動です。サービスの安定稼働と顧客からの信頼獲得は、この管理体制の成熟度にかかっています。
ITILに準拠した標準プロセスを導入し、誰が見ても状況を把握できるインシデントレポートを作成すること。そして、「なぜなぜ分析」などの手法を用いて表面的な事象に留まらない深掘りを行い、本質的な原因を特定することが不可欠です。分析から導き出された結論を具体的な再発防止策として実行して初めて、インシデントは組織を成長させる貴重な学びに変わります。
インシデントは避けられないものですが、その向き合い方次第で脅威を機会に変えることができます。本記事で紹介した手法やJira Service Managementなどのツールを参考に、自社のインシデント管理体制を見直し、より強固で安定したサービス基盤の構築を目指しましょう。